温羅伝説

その昔、吉備の国で山に城を築き、傍若無人をはたらいていた温羅を退治しようとキビツヒコノミコトが立ち上がった。

いよいよ温羅と戦うこととなったミコトだが、もとより鬼神のごとく強さの温羅であるから、戦えばその勢いはすさまじく、さすがのミコトも攻めあぐねた。

鬼ノ城(きのじょう)は岡山県総社市奥坂の鬼城山(標高397m)にのこる神籠石式山城。国指定史跡。

今も岡山市田中にある矢喰宮(やぐいのみや)はその弓矢を祀(まつ)っている。

 血吸川が足守川に合流するあたり、岡山市高塚にある。『吉備津宮縁起』によると、吉備津彦命の射た矢と、温羅の射た矢が空中でぶつかって落ちたところ、『鬼ノ城縁起』では吉備津彦命の矢と温羅の投げた石が当たって落ちたところとされる。さらに社伝では境内にある巨石は温羅が投げたもの、そばにはえている竹は、命の矢が根付いたものという。祭神は吉備武彦命。

そこでミコトは強弓でもって同時に二本の矢を放ったところ、これがまったく温羅の不意をつき、一本は外れたが、もう一本は見事に温羅の左眼に命中し、流れる血潮が流水のごとくほとばしった。


▼ 上から総社市鬼ノ城、矢喰宮

血吸川が足守川に合流するあたり、岡山市高塚にある。『吉備津宮縁起』によると、吉備津彦命の射た矢と、温羅の射た矢が空中でぶつかって落ちたところ、『鬼ノ城縁起』では吉備津彦命の矢と温羅の投げた石が当たって落ちたところとされる。さらに社伝では境内にある巨石は温羅が投げたもの、そばにはえている竹は、命の矢が根付いたものという。祭神は吉備武彦命。

そこでミコトは強弓でもって同時に二本の矢を放ったところ、これがまったく温羅の不意をつき、一本は外れたが、もう一本は見事に温羅の左眼に命中し、流れる血潮が流水のごとくほとばしった。

血吸川(ちすいがわ)はその遺跡である。

 鬼ノ城山から総社市赤浜あたりまで全長約8キロの河川。温羅伝説では、吉備津彦命の放った矢の一本が温羅の左目に命中した際、あふれる血で川が真っ赤に染まったと伝えられる。また、鉄穴流しの砂が流出して川床が赤くなったために名づけられたという説も。川床が高く、天井川になっていて、水が流れていないところもある。

さすがの温羅もミコトの一矢にたまらずたちまち雉(きじ)と化して山中に隠れたが、ミコトは鷹(たか)となってこれを追いかけたので、温羅はまた鯉と化して血吸川(ちすいがわ)に入って姿をくらました。

ところがミコトは鵜となってこれを追いかけて捕らえた。

ここで註釈しておくが、桃太郎の童話は、もともと吉備津彦命の逸話とは別のものであるしかし、桃太郎の話は、やはり吉備津彦命と温羅伝説がベースとなって今日のようなストーリーが作られたものと思われる。 吉備津彦命の鬼退治が陸を舞台に繰り広げられているのに対して、桃太郎が鬼を退治する舞台が海である点が違っているが、最近では岡山県が桃の産地である上、吉備(黍)団子とも関わりがあるとして、吉備国の岡山県と桃太郎の童話が強く結びつけられている。